私たちに寄せられた、
声にならない声たち
#これも協議離婚

加害者から守るべき子ども達がいる私たちは、
顔を出して声を上げられず、
なかなか大手メディアに取り上げてもらえません。

私たちに寄せられた当事者の声をご紹介します。

Voice - 1(協議離婚)

協議離婚でしたが、養育費・面会交流・財産分与で2年以上調停中。話し合いで解決、共同で子育てをするなんてとてもできません。

毎日責められて、完全に自分は家事ができない人間だと思い込む

精神的・経済的DVでした。 経済的DVについて、共働きで私も正社員ですので、元夫とそれほど変わらないくらいの収入がありましたが、とにかく自由にお金を使えませんでした。本1冊、アルバム1枚買うのも文句を言われ、ご飯を作るのもミールキットのように炒めるだけのものを買うのも自分で作った方が安いと言われて許されず、牛肉を買えばそんな高いものは買うなとゴミ箱の値札を見つけて怒られる日々でした。とにかく、「そんなもの買ってはいけない」はよく言われました。 

精神的DVは、毎日とにかく、「俺が正しい、お前が間違っている」という接し方をされ続けました。あらゆる家事について、ここができていない、そのやり方ではダメだ、あれはおかしいなど必ず毎日言われました。産後に始まりました。私は完全に自分は家事ができない人間だと思い込み、一人で子ども二人育てることなんてできないのだと、離婚を考えることはできませんでした。

ある日、元夫が出張で家にいなかった時に、一人でもできる、一人の方が平和だと気がつきました。談笑もありませんでした。保育園の運動会でよその夫婦が仲良く喋っているのを聞いてしまい、愕然としたのを覚えています。これが夫婦の会話なのか、やはりうちはおかしいと思いました。婚姻中は常に緊張していたので身体中がこわばり、腰痛がひどかったのですが、別居してからなくなりました。

Safe Parents Japanに届いた声①
子どもの世話はしたことがない元夫と話し合い・共同で子育てをするなんてとてもできません。

子どもとの関係ですが、子どもを連れて一人で電車に乗ったことすらないし、夜泣き対応も喘息発作やおむつ替えやアトピーの薬を塗るなどの夜中のケアをしたこともなく、毎晩お酒を飲んで寝ていました。よくわからないルールを急に作って行動を制限するので子どもがパニックになっていました。二人で公園に行って、お父さんと喧嘩をして泣きながら帰ってくるのもしょっちゅうでした。怒るお父さんの後ろを泣きながらついてくるのをマンションの上から何回もみました。まだ2〜3歳の頃のことです。ある時は、元夫が職場の飲み会で先輩に子どもの学歴を自慢されてものすごく怒って帰ってきて、そこから子どもに中学受験させると言い出しました。まだ3〜4歳とかで、勉強が好きかどうかもわからないのに、です。自分の自慢の道具にするつもりなんだなと思いました。下の子は空気を読む子で、2歳くらい、しゃべれるようになったと思ったら、私が元夫に責められ始めると気の利いたことを言って話をそらせて場を和ませてくれました。

向こうから離婚したいと言われて協議で離婚が成立しましたが、養育費・面会交流・財産分与で2年以上調停をしています。話し合いで解決、共同で子育てをするなんてとてもできません。

Voice - 2(協議離婚)

私も協議離婚。1日も早く離婚したかったので養育費も口約束を信じて証書は書かず、その足で役所に届け出た。でも養育費は支払われなかった

子どもが怯えるようになったので離婚を決意

出産後から元夫の精神的暴力(育児に全く関わろうとしなかったためそれについて言及、お願いすると逆ギレして怒鳴る、物を壊す、壁を殴って穴を開ける等)や、休日競馬場や飲みに出かけ毎週行方不明になるというような事等があったことで徐々に離婚を考えるようになり、別居より半年ほど前に同じ理由で元夫が子どもの前で携帯を床にたたきつけて子どもが大変怯えていたのを見て離婚の意思を伝えていました。その後反応のない元夫が何をするか分からない恐怖で、なるべく子どもを近づけないようにして生活してました。

子どもの前で殺されるかもしれないと思い警察を呼ぶ

 このような生活を続けている時、酔っ払って帰宅した元夫が子どもを寝かしつけようとしてる私に向かって「こんなことになってるのは全部お前のせいだ!」「俺が全部悪いのかよ!ここから飛び降りればいいのかよ?」「どうすんだよ!オラオラ!」と私を何回か強く突き飛ばし(顔や肩を張り手のように)後ろに隠れてた子どもも怖い怖いと言いながら泣いていた為、自分で子どもを守れなかったらどうしよう、殺されるかもしれないと思い隙を見て警察を呼びました。元夫は普段から「直接殴ってないんだからいいだろうが」と言っていたので、身体的暴力の証拠が残らないように気をつけていたのかとも後から考えると思います。その後すぐに元夫の店(自営業)に離婚届を持って出向きました。人の目を非常に気にする元夫は、周りの住人に客が多い店先ということもありオラつきながらも暴力は振るわれずサインをもらうことができました。

養育費も口約束を信じて証書は書かなかった

 私は1日も早く離婚したかったので養育費も口約束を信じて証書は書かず、その足で役所に届け出ましたが、養育費は支払われず。友人の強い勧めで調停を申し立てたところ、向こうからは面会交流調停が申し立てられて、全て終わるまでに〇年間かかりました。こちらから申立てをしなければ、向こうは養育費を踏み倒して逃げるつもりだったと思います。元夫は再婚で、「離婚は金がかかる」と言っていたし、共通の友人にも養育費を払いたくないと言っていたらしいです。

もし共同親権制度が導入されたなら、元夫のように本音では子どもへの愛情より養育費を支払いたくない気持ちが強い人との関わりが強制されてしまい、子どもを守るために離婚したのに守り切れなくなってしまうことを危惧します。

Voice - 3(協議離婚)

協議離婚。
宿泊面会で、子どもたちの隣で毎回違う女性と性行為に及ぶ元夫

夫に首を絞められ、足が浮いた状態で宙吊りのような体勢に

うちは離婚の原因となったDVの時、寝室近くの廊下で暴力をふるわれていた為、子どもたちが起きてしまいました。子どもたちは大泣きしていましたが夫はやめるはずもなく、当時小学校低学年の子どもが警察に電話をかけました。私は夫に首を絞められ、足が浮いた状態で宙吊りのような体勢だったからです

その後、なんとか離婚できましたが、夫が希望する通りに宿泊面会をするも、毎回入れ替わり女性が宿泊し、子供たちの隣で事に及ぶように面会の時間も守れない、週替わりで女性が入れ替わり、隣で性行為が始まる。

子どもは面会に怯え、養育費は1年以上未払い

ずっと養育費も未払いだった為、面会を取りやめ養育費調停をしました。結審の日に元夫から「子どもと面会したい」と言われたため、子ども達に伝えたところ特に娘は酷く怯えて「誘拐されて帰ってこられなくなったら怖いから嫌だ」と言っていました。

 現在は元夫はシングルマザーとその子どもを養っているため、お金がないと養育費未払いが1年以上続いています。現在、強制執行をかけている最中です。もう子供には会いたがる事はなくなりました。

Voice - 4(協議離婚)

DVと浮気と借金が離婚理由。元夫は浮気相手の所に行くために、協議離婚。

離婚に応じず暴れて包丁を振り回す

協議離婚をしました。

相手のDVと浮気と借金が原因でしたが、3人の子どもを抱え私も身動きが取れず、反省と開き直りを繰り返され、だんだん鬱になっていたのも当時は自覚出来ずに相手の滅茶苦茶さは酷くなりました。離婚の相談をしようにも相手は離婚に応じず暴れて包丁を振り回すなどし、最後は新しい浮気相手の所へ行くために向こうから離婚届を出そうと市役所に連れて行かれ、そのまま離婚届を2人で出しました。

再婚後養育費の支払いを止めた元夫。調停してやっと少額支払われるように

その後の事を話し合おうにも無視されて、「離婚したけど帰る場所が必要だから別居はしない」と言われ頭が真っ白になりました。泣く泣く友人に相談するとすぐ駆け付けて地元に逃げ帰る算段をつけてくれ、元夫がいない隙に引越しすることが出来ました。

住所を秘匿してから初めて養育費の請求の調停をして、子ども3人で〇万(離婚時は幾らでも払うと言われてましたが、私は〇万くらいと頼んであり、1ターン毎にそこから何度も値切られ応じるよう説得されました)に決まりました。

 その後、元夫は再婚して、新しい妻との間に2人の子どもがいるそうで、合計5人の子どもの父親です。再婚後養育費の支払いを止めてきたため調停を行い、減額してやっと少しだけ支払われるようになりました。それでも支払っているだけマシとされるのでしょうか。

無責任に子どもを産ませ、子どもが迷惑しているのです。そんな元夫が5人の子どもの父親だというのはどうなのかと、心から疑問に思います。

Voice - 5(協議離婚)

精神的・経済的DV。離婚の条件は「養育費無し」

30代の女性、2歳の子がいて離婚。

産後仕事を辞めてから、夫が妻に「穀潰し」「頭が悪い」「家柄が悪い」と毎日暴言

夫から渡される生活費(家賃光熱水費は夫から引落し)が月5万円と低く、妻側親族や友人との付き合いも制限された。

心身の体調を崩した。

妻側親族が妻に会った際、妻の様子がおかしいことに気がつき離婚を勧め、養育費無しを条件に協議離婚

Voice - 6(協議離婚)

「子どもに2度と会わない」ことを理由に養育費を支払わない元夫

私は2回とも協議離婚なので具体例を箇条書きにします。

  • 養育費を払うよう頼みましたが、「子どもに2度と会わないから払わない」と拒否されました。
  • 収入が上がったら養育費を払うと公正証書にまでしましたが、離婚後連絡はありません。
  • 元夫の家事育児放棄、義実家からのお金の無心が離婚原因にも関わらず、「俺が慰謝料ほしいくらいだ」と意味不明な脅迫をされました。(以上1人目の元夫)
  • 元夫が怖くて養育費の話ができませんでした。もちろん元夫からも養育費の話はありませんでした。
  • 遠方で面会交流の交通費が高額になるため、交通費の折半をお願いしましたが、1〜2回払っただけであとは無視されました。(以上2人目の元夫)

このような元夫と、共同親権になった場合、話し合う場をもつことはもちろんのこと何らかの合意ができるはずがありませんし、それが子どものためになるとも思えません。

Voice - 7(調停離婚)

自分が原因だと思っていたが、それはDVだった

結婚を決めて同居を始めた時から、何故か幸せに感じていませんでした。何か些細なことでも怒鳴られ、無視され、一晩中説教されました。なぜそうなってしまうか、その理由がわからなくて、自分が悪いからだと思っていました。結婚してすぐに子どもに恵まれたのですが、フルタイムから育休、時短になり、私の収入が減り、やりくりが難しくなるとさらに元夫の逆鱗に触れることが増え、私を無視して、子どもにだけ笑顔を向け、家の中は凍りついた状態でした。実家に帰ると言うと、お前が原因なんだから慰謝料を取るし、親権もないと言われ、出て行けませんでした。それでももうダメで、藁もすがる思いで、民間の夫婦関係修復の相談ダイヤルに電話しました。その時もまだ私は自分が原因だと思っていたので自分をどう変えるのかしか考えていませんでした

そこで、それはDVだからこの電話を切ってすぐに市のDV相談室に電話するように言われました。DV相談室で、自分が離れたいなら離れていいし、自分で決めていいのだと知り、号泣しました。両親に初めて話し、元夫が仕事に行っている間に、子どもと逃げました。

DV相談室からの助言で、弁護士さんを探し、間に入ってもらいました。弁護士さんを介して、協議離婚を進めようとしましたが、折り合いがつかず、こちらから調停を申し込みました。私は正社員の仕事を持っていたので弁護士さんに全面的に頼ることができ、恵まれていたと思います。女性の場合、金銭的な理由で弁護士さんに頼れず、1人で協議離婚に立ち向かうことが多く、DV加害者と合意することはとんでもなく大変だし、離婚に合意して欲しいがために、不利な条件を飲んでしまうこともあると思います。調停員ですら、夫側は話が通じないので私の方にばかり譲歩を求めてきました。

被害者の私が解決金を支払って離婚

 弁護士をたてている私でも、離婚裁判に進めず、早く離婚したかったから、〇十万円の解決金を払いました。娘のための学資保険(原資は私。名義は元夫)も返してもらえず、折半にもならず。財産分与なし。離婚条件は、親権を確保できた以外は最悪です。親権は私の今までの養育実績から、元夫にはどうすることもできなかったから諦めてもらえたのかもしれませんが、共同親権となると想像しただけで恐ろしいです。DVは除外と言われていますが、除外できるとは思えません。面会交流も今は変わってきたと聞いていますが、当時はDV関係なしのゴリ押しでした。パブコメにあったように離婚済みのケースも適応になったら、私にはDVの証拠もなく、逆に解決金を払った事だけが残っていて不利になると思います。離婚後、子どものために学資保険をゼロから溜め直しましたが、それも奪われてしまうかもしれない。親子で海外に逃げるしかないと本気で考えています。

Voice - 8(調停離婚)

10年にわたる協議の末、保護命令からの調停離婚

私の場合は10年間くらい離婚したいと言っていました。
しかし最後はシェルターに入り保護命令を取り付けて別居し離婚調停。
一応調停で離婚は成立という流れです。
ですからその10年くらいは協議をしていたと言えると思いますが元夫の返事は
・離婚はダメだ
・オレは変わる(実際には全く変わらない)
・子どもは渡さない
・こちらは両親がいるから育てられるし、オレの収入がある。あらゆる意味でお前が子どもを育てるよりマシ

というような内容でした。
私の両親は離婚や別居に反対していたので生きていれば離婚はできなかったと思います。(両親は毒親でした)
離婚の協議というのはこんな風に門前払いのような形であり深まることはありませんでした。

Voice - 9(協議離婚)

婚姻数日後から始まって徐々にエスカレートした暴力。
骨折させられてもその時はDVと気付けなかった

婚姻中から離婚に至る経緯

私と元夫は、もとは社会人になってから知り合った友人同士でした。

ひょんなことから意気投合し、約1年の交際を経て、結婚時期を話し合っているうちに妊娠が発覚。同居して婚姻届を提出しました。

ところが、婚姻届けを出した数日後、食後にテレビを見ているときに元夫から「お前は世間知らずなところがあるから、俺がどこに出しても恥ずかしくないように躾けてやるからな」という一言から徐々にDVが始まりました。

 ちょっとしたことで口論や怒鳴りあいになることが増え、元夫が「今から来て、こいつおかしい」と実家に電話し、急きょ両家そろっての話し合いになったことも何度もあります。

 月に1~2度、何かが爆発したかのように暴力的になる夫が怖くて、その度に実家に身を寄せてやり過ごしました。

妊娠中の私に膝蹴りする仕草、逃げようとしたところを突き飛ばす

 暴力が明確にエスカレートしだしたのは、婚姻届けを提出してから数か月後のこと。口論になり、私からボイスレコーダーとスマホを奪ったうえで妊娠中のおなかを膝蹴りする仕草をして嫌がる私を見てニヤニヤ笑い、逃げようとした私を突き飛ばした一件からです。

 この直前、元夫の持病の入院で出費がかさみお金がなかったので(自分の結婚前の貯金を使うと怒られるので使えなかった)、突き飛ばされても病院を受診することができず、ベッドで横になっていることしかできませんでしたが、下血したことで病院を受診し事の経緯を話したところ切迫早産で緊急入院の診断。カルテを見た看護師さんが入れ替わり立ち代わりDV啓発カードをくださるものの、私はなぜ渡されるのかが理解できずにいました。入院から半月経って退院を希望するも、「元夫のところへは返せない」と言われ、仕方なく実家へ。

 今思うとDVの典型ですが、反省しているなどの文言が何通もスマホに届き、こんなに反省しているのだから、子どもを父親のいない子にするわけにもいかないし、と元夫のもとへ戻りました。

 その後も実家への避難は続き、鬱々とすることの多くなった私は産科の強い勧めで精神科を受診するようになります。

 やがて、実家に身を寄せているときに破水。元夫はそれまでの話し合いで出産に立ち会うと譲らなかったので、仕方なく(連絡しなかったらと思うと報復が怖かった)連絡し、出産しました。


子どもが生まれたら・・淡い期待は叶わなかった

 子どもも生まれたことだし、父親の自覚をもってこれまでとは変わるんじゃないかと淡い期待を抱いたものの、当然ながら変わることはなく、子どもと3人で暮らし始めて1カ月も経たずに暴力沙汰に。

 それまでの経験から、暴力があったときは必ずスマホを奪われ「通帳を返せ、お前には任せられない」となるのが毎度のパターンだったので、外に行かざるを得ないように仕向け、その間に部屋の隅に投げ捨てられたスマホを探し出し、警察に通報。

 駆け付けた警察に強制的に隔離され、証拠写真(現場で指さし写真とけがの写真)を撮影した後、救急車で病院に行き、検査ののち骨折と診断。警察でさらに調書を取られたあと警察同伴で最低限の荷物を取りに戻り、実家へ戻りました。

 翌日、再度病院から呼び出され子どもと私の診察、子どもの担当の医師からシェルターに今すぐ行くようにと言われ、私は納得いかないながら(夫婦喧嘩の延長だと思っていました)シェルターへ行き、ことの経緯を話しました。まだ半分くらい気持ちは揺れていましたが、「結婚から1年も経っていない新婚なのにそれだけエスカレートするなら、これからもっと酷くなるのではないか」の一言で離婚を決意、弁護士を紹介してもらいました。

初めてDVと気付いた衝撃、そして惨めさ

 紹介してもらった弁護士事務所で、それまでのあれこれを話すと、「それはDV、それもDV」と指摘を受け続け、ようやく自分がされてきたことはDVだったのだと納得(とともにすごい衝撃)、結果としてありとあらゆるDVを受けていました。そのときの惨めさはとても言い表せません。

 弁護士の先生に「お金が発生してしまうので、大変だろうが保護命令申し立ては自分で」と指示されたので、支援員の手を借りながら申立書を作成、何とか無事に私、子ども、私の親族への接近禁止と退去命令が発令されました。

 元夫は異性の弁護士が代理人になったことで当初は浮気を疑ったようですが、私が本気で離婚したがっていることを察し、自分はDVなどしていない、離婚もしないと徹底抗戦の構えでしたが、保護命令が発令されたので、納得がいかないながらわが身可愛さに保護命令違反はしませんでした。

 ちょうどこのころ警察の取り調べが終わり、元夫は私が抵抗してできた擦過傷について被害届を提出、元夫と私は検察へ書類送検されました。

 夫は離婚の話し合いのなかで元の生活に戻ることを主張していましたが、慰謝料なし、治療費なし、財産分与なしの協議離婚が成立しないなら調停や裁判も辞さない(その際は慰謝料その他すべて請求する)旨告げたところ、実は自分も何件か弁護士に相談して難しいと言われたこと、借金を抱えていてこれ以上の負債は避けたいこともあって離婚に同意。支払い能力がほぼないことを考え、養育費は子どもが20歳になるまで月に〇万円を月末払い、ただし慰謝料・治療費等、金銭は一切請求しないことで同意し公正証書を作成し、離婚届を提出しました。同時に私は支援措置を申請、毎年更新をしています。

 検察は、私に対してはすぐに不起訴を言い渡しましたが、元夫には罪状がつくかもしれないとのこと。せいぜい罰金程度でおわることはわかりきっていたので、報復も怖いし、何より養育費が滞るのは困ると検察に不起訴処分をお願いし、その通りになりました。

 結婚してからというもの全く心休まるときはなく、ああいえばこう言うという言葉のとおりで話し合いができなかった元夫の暴力におびえず生活できる解放感はすさまじいものでしたが、いつ街中でばったり出くわすかと思うとやはり怖くて、今でも周囲を警戒しながら外出しています。

 元夫も一連の騒動に懲り、もう連絡してくることもないだろうと思っていましたが、数カ月に1度、何かにつけ(元夫親族の不幸、子供の成長はどうだ、俺にはお前が必要だ)などと連絡が来続け、現在に至ります。

「協議」離婚でも「真摯」な合意は不可能

話し合いや真摯な合意が可能か

 皆様にはぜひ自分事として考えていただきたいのですが、配偶者を骨折させているにもかかわらず、反省や心配もせずに自己保身に走る相手と、話し合いはおろか、真摯な合意が果たしてできるでしょうか

1年にも満たない同居期間で、幾度となく傷つけられ自尊心を削られました。また自分だけはなく妊娠中のお腹に膝蹴りする真似をする行為は、まだ生まれてない自分の子どもを危険にさらす行為です。

 現行法では、これは児童虐待にはなりませんが、こういった行為をする相手と「協議離婚だから」という理由で話し合いや真摯な合意が可能と思われるのは非常に困ります

 離婚してもう数年になりますが、元夫と背格好が似た人物が周囲にいるだけで恐怖がよみがえって逃げるようにその場を去り、寝込むこともしばしばで、私は社会復帰すらできていません。

 DVや虐待は、家庭のなかで起こるからこそ表には出づらく、また加害者は加害の認識が乏しく、被害者も被害を受けている認識に欠ける危険なものです。

 また、「自分の場合はDVがあるケースだから」と思われるかもしれませんが、DVを受けていたとする線引きをどこにするかによって、DV被害者であっても共同親権にさせられてしまう可能性があること、加害者に「共同親権にしなければ離婚しない」などと交渉の切り札にされてしまう可能性があることを、法制審議会の先生方にはぜひ理解していただきたいです。

Voice - 10(協議離婚)

妊娠中に無理やり署名させられた婚姻届。
泣きながら不受理届を提出した

私が妊娠中の時の話です。医師からは「里帰り出産をするなら、帰省するまで安静にしていないと切迫早産で移動は許可できなくなる。くれぐれも安静に」と口酸っぱく言われていました。お腹のハリもあったため夫からの性行為の誘いを断っていたところ、放ったらかしにされていると怒った夫が、友人2名の署名入りの離婚届を持って帰ってきました。「今すぐ署名しろ」と首の付け根を押さえつけられ、テーブルに顔を押し付けられました。すでにお腹が出ていたため、その姿勢ではお腹が圧迫されます。子供を守るためにも、また恐怖心から署名せざるを得ませんでした。夫は休日窓口に届を出しに行き、そのまま2日帰ってきませんでした。私はしばらく呆然としていましたが、このままではいけないと泣きながら休日窓口で不受理届を出しました。週が明け市役所が開くと、2つの届が処理され、市役所から「提出時間が離婚届のほうが早いので本来なら不受理にできない。今回は初めてなので窓口に2人揃って出向いて手続きをするなら不受理にする」と連絡を受けました。夫には離婚するならきちんと話し合いをもってからにしたいと連絡し、その時は一緒に窓口にいき離婚を取り下げることになりました。 
その後、婚姻関係と同居を継続し出産しましたが、数年後の今、夫の暴力から避難し、家庭裁判所で離婚の話し合いになっています。私は最初の調停から弁護士に依頼しています。弁護士費用は簡単に払える金額ではありませんでしたが、妊娠中に強引に署名させられた経験から、私1人ではまともな話し合いは持てず、相手の意向を押し付けられることは分かっていたので迷わず依頼しました。

不利な条件でも暴力には抗えない 
もし、あの時のことがなければ、「最後くらいは話し合えるのではないか」という希望的観測で協議離婚を申し入れていたかもしれません。どんな不利な条件を突きつけられても、腕力に訴えられれば抗えないことも分からずに。弁護士に依頼する資金がなければ、実家の助けがなければ、もっと精神的に追い詰められていたなら、避難することもできず、また離婚届を突きつけられ、首を絞められ、再び署名させられていたかもしれません。

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